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自由が丘8953ビル 周辺情報街の履歴書
街の履歴書東京都自由が丘
“自由”を愛した街、自由が丘
自由が丘を生んだ、教育者手塚岸衛、舞踏家石井漠たち
「自由が丘」、いかにも現在の街並みにもふさわしい地名ですが、この由来は、東急東横線・東急大井町線が開通した昭和初期にさかのぼります。この時期、手塚岸衛氏が自由教育を旗印に「自由ヶ丘学園」を創立しています。また舞踏家石井漠氏がスタジオを構え、多くの青年芸術家たちがこの地に集まってきました。そして、自由を愛する彼ら文化人たちの要望が、電鉄や行政を動かし、「自由が丘」の地名が生まれました。その後戦時中、地名の改正を勧告されても住民たちは受け付けず、この地名を守ってきたようです。
戦後に引き継がれたモダンでハイセンスな気風
戦後に引き継がれたモダンでハイセンスな気風自由が丘は、この名の由来のように、先進的な文化人や住民に支えられ、そのモダンな気風は第2次世界大戦後の復興・成長期にも引き継がれていきました。田園調布や世田谷に住んでいた多くの人々や、ハイカラな学生らがこの街を訪れ、銀座と並ぶモダンでハイセンスなショッピング街が発展してきました。日本で最初にデパートと名づけられた「自由が丘デパート」が生まれたのもこの頃です。

現代に生き続ける、モダンで先進的な風土
現代に生き続ける、モダンで先進的な風土 現代に生き続ける、モダンで先進的な風土
昭和50年代以降は、ファッション店、雑貨店、カフェが林立するようになり、次第に今日のような街並みが形づくられてきました。例えば雑貨店「キャトルセゾン」の日本の1号店、ファッションブランド「トゥモローランド」の直営1号店も自由が丘で生まれました。自由が丘の地に生き続けているモダンで先進的な風土は、数多くの新しいショップを発祥させてきたのです。

自由の女神像
自由の女神像
【地名の由来】
昭和2年、東急東横線・東急大井町線開通当時の駅名は、現在は隣り駅の名である「九品仏」であった。手塚岸衛氏、石井漠氏ら文化人は、新駅名として「自由ヶ丘」を採用するように熱心な要望活動を行い、昭和4年に自由ヶ丘駅となった。以後、自由ヶ丘は次第に地名化し、「自由ヶ丘学園」の自由教育に共鳴した地元の名士栗山久次郎の尽力もあって、昭和7年、町名も正式に自由ヶ丘に変更された。昭和40年、町名「自由ヶ丘」は今日の「自由が丘」に改められている。

【自由の女神像】
自由が丘のシンボルともいえる駅前ロータリーの“自由の女神像”。昭和36年、地元の人たちから「外国の広場のように彫像を設けたら…」との話がもち上がり、彫刻家沢田政廣氏により制作された。正式な名前は「蒼穹(あおぞら)」で、台座の文字は石井漠氏の筆である。この女神像を冠した「女神まつり」は、昭和48年以来、毎年行われている。

(平成17年2月末現在)

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